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「山本カントクと天才・赤塚不二夫」山本晋也カントクの桃色青春伝

赤塚不二夫さんが亡くなって早7年。今年は生誕80周年ということで記念本が何冊か出版されたり、アニメ展が開催されたりしてるそうだ。だからオレも、この不世出の天才・赤塚先生について語ってみようか。この人との出会いによって、一ピンク映画監督だったオレは新しい世界をたくさん知ったし、何より楽しい時間をしこたま過ごさせてもらったんだからね。 きっかけは1977年、『演歌チャンチャカチャン』というコミック歌謡曲の大ヒット。そうなると映画会社、特にポルノ屋ってえのは便乗企画を考えるもので、日活ロマンポルノが『ポルノ・チャンチャカチャン』という映画を撮らないかと言ってきた。

新宿の寿司屋に集ったキラ星のような面々たち

当時、赤塚先生には「面白グループ」と呼ばれる有名な遊び仲間がいた。NHKの演芸ディレクターだった滝大作さん(この人はコント55号の育ての親だ)や、後に『笑っていいとも!』の初代構成作家になる高平哲郎さんなんかだよ。
それで先生が「この間、ピンク映画の山本と仕事をしたよ」と言ったら、高平さんたちが「先生、あの人は絶対に面白いから仲間に入れようよ」って言ってくれたらしいんだな。

「面白グループ」には他にもジャズの山下洋輔さん、坂田明さん、コメディアンで書評家の内藤陳さん、歌手の三上寛ちゃんなんかがいて、彼らはその名のとおり「面白いヤツがいたら引き込んじゃおう!」という精神の人たちだから、タモリを発掘し、まったく無名だった所ジョージ、THE ALFEEの坂崎幸之助なんかを巻き込んでいく。オレも「誰か面白いヤツいない?」って言われて、無名時代の柄本明を連れて行ったりしたよ。

そして夜な夜な、新宿にあった『ひとみ寿司』という鮨屋でワイワイ騒いで語り合う。鮨屋なのに、誰も寿司なんて食わないんだ。ブッカキ氷の上にキャベツの千切りを乗せて、塩と胡椒と味の素を混ぜた赤塚先生特製の香辛料をつけて食うという、なんとも貧乏臭いスタイル。

なんの話をするかというと、先生もオレも他のメンバーも全員無類の映画狂だから映画の話だ。でもさ、酔っ払ってるし、誰もがそろそろ中年期を迎える頃だから、「エート、あの映画、なんてタイトルだっけ?」と題名が出て来ないんだな。そうすると先生が「よし、和田誠さんに電話して聞こう」って。夜中の3時だよ。電話すンのは、いつもオレの役目なんだ。それでも和田さんってのは素敵な人でね、当然寝てただろうに、ちゃんと電話に出て答えてくれる。オレと先生が「ホラ、アレ、なんて題名だっけ?」「脚本家が二人共同でシナリオを書いてて、それが劇中劇になって」とか言ってるのを、「ああ、それはジュリアン・デュヴィヴィエの『アンリエットの巴里祭』ですね。主演はダニー・ロバンとミシェル・オークレールですよ」なんてスラスラ言う。まるで、いまで言うインターネット検索みたいな人なんだ。

さらに、それだけじゃない。赤塚先生が「あの主題歌、なんだっけ?」って電話の向こうで唄うんだよ、音痴なメロディーで。それさえも「『飾りのついた四輪馬車』でしょう。ミュージカル映画『オクラホマ!』の主題歌ですよ」なんて答えてくれる。和田誠さんはそんな映画好きが高じて、80年代からは『麻雀放浪記』『快盗ルビイ』と映画監督にまでなってしまうわけだが、後年、和田さんはオレに言ったね。「カントク、ボクが映画にココまで詳しくなったのは、赤塚先生が夜中に何度も質問して来たからですよ」ってね。

オレたちも最初は、そうやって『ひとみ寿司』でバカ話や映画の話をしてるだけだったんだが、やがて、いっそのこと、皆で映画作っちゃおうかという話になって、赤塚さん原案で高平さんが脚本、主演が柄本明で、オレの監督作『赤塚不二夫のギャグ・ポルノ気分を出してもう一度』ができた。そして調子に乗ったオレたちは、続いて所ジョージを主演に『下落合焼とりムービー』という一般映画まで作ってしまうわけだが、それについては、また次の機会に話すことにしよう。

(続きは11月27日発売の増刊大衆へ!)


山本晋也 やまもと・しんや
1939年6月16日生まれ、東京都出身。250本以上ものピンク映画を監督し、ヒットメーカーとなる。所ジョージ、タモリらが出演した伝説のカルト映画『下落合焼とりムービー』など一般作品の監督や役者としてドラマに出演したり、落語家として舞台に立ったり、深夜番組『トゥナイト』のレポーター、ワイドショーのコメンテーターとしてマルチな才能で活躍。

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